【実録】体験談 わたしは結婚出産後、肩の荷が降りた
26歳のとき私は初めて「お見合い」という機会に遭遇しました。
当時の仕事も楽しかったけれど、新しいスキルを身につけたい、これしかできない人になるのは嫌だ、と転職活動を考えていたときでした。
私自身にはまだまだ結婚願望もなく、むしろ「結婚」に対する良いイメージもありませんでした。
しかし、学生時代から彼氏を親に紹介するようなタイプではなく、結婚を考える気配のない私の態度に親は将来を心配してどこかから見つけてきたのでしょう。
自分の意思とはほぼ関係なく、婚活が始まりました。
結婚を決めるまで何をしていても結婚していない自分にどこか「罪悪感」を感じながら過ごしました。
結婚にまつわる親御さまとのやりとりでヤキモキしたり、同級生の結婚や出産のお知らせに一喜一憂している娘さん世代は今多くいらっしゃいます。
それは「みんなと同じ」を好む日本人の特性でもあるかもしれません。
学校を卒業するとほとんどの方は就職して社会人として働き始めます。
ここまでは大体みんな同じなのですが30歳前後になると人生が枝分かれしてきます。
仕事に夢中になるのもよし、早々に生涯のパートナーと出会い、結婚するのも良し、転職も海外に行くのも本当はどの方向に行っても「良し」なのですが自分よりも人生を先に生きている親御さまにしてみれば「一般的」な生き方をおすすめしてしまうのでしょう。

あの頃の私が抱えていた「見えない重石」
親のすすめに応じない選択はほぼなかった
初めてのお見合い話を持ちかけられたとき、「お断りする」選択はほぼなかったように思います。
「ケンカしたくない」
「この話に乗っておいた方がこの家では生きやすいのかも」
当時、交際相手もいなかったですし、「結婚する気があるなら20代の方が」と言ってすすめてくる親の考えも間違いではなかったからです。
ただ、この後も次々に色々なお見合いや紹介の話を探してくれていたので「申し訳ない」ような気持ちになりながらそれでも一流企業のバリバリのキャリアウーマンでもなく、
当時、大手企業と呼ばれるような会社では「大卒以上」しかエントリーさえできなかったりもして「女の子が大学なんて」とすら言われていた昭和の女性は大きな組織の中で活躍をするには
どうしても不利なのもわかっていました。
本音をうまく伝えられないしんどさ
「良い娘」でいようとは思っていなかったのです。
「どんな言葉を使っても説得力がないな」という無力感がありました。
仕事も頑張っていたし、一応は大人になったつもりでしたが一生自立して一人で生きていく自信があったかといえば、それもなかった、でも本当の気持ちにフタをして
「真剣に結婚相手を見つけよう」
と考えている相手の男性にも申し訳ないし、何やっているんだろうな私。。。。。
そんな気持ちになったこともありました。
いちばん辛いのは母親から「詰め寄られる」ときでしたがなるべくそういう場面を作らないよう、息を潜め、表向きは何もなかった顔をして
実家の自分の部屋のドアを閉めたあとに、ようやく深く吐き出すため息。。。。。またか。。。。。いつまで続くんだろう。
私のメンタル大丈夫かな。。。。。と思いつつ、仕事や趣味に没頭していたように思います。
そんな風に、どこか自分の人生を他人事のように眺めていた私に、ある日、決定的な転機が訪れます。それは、自立への足がかりにしようと必死だった転職活動でのことでした。
あの日、初めて味わった『心細さ』が、私の止まっていた時計の針を動かし始めたのです。
変化のきっかけ:結婚、そして「自分の家庭」という聖域
転職活動での挫折と気づき
転職活動をしていた当時の私は、不採用通知を受け取るたびに「自分には価値がないのではないか」と、暗い穴に落ちていくような感覚を味わっていました。
仕事で自立したいと願っていたはずなのに、現実は厳しく、「私にできることなんて何もないんだ」と、初めて自分の足元が揺らぐのを感じたのです。
この頃、初めて「心細い」とはこういうことか、と感じたのです。
その時でした。それまでどこか他人事だった「結婚」という二文字が、急に現実味を帯びて迫ってきたのは。
「社会から必要とされないのなら、家庭という場所で誰かに必要とされる道を選んだほうがいいのかもしれない」
それは、純粋な希望というよりは、
「今の苦しさから逃げ出したい」という、自分を守るための切実な選択だったのかもしれません。
親の勧めるままに始めた婚活でしたが、皮肉にも人生の挫折が、私を「自分の人生をどうにかしなければならない」という本気モードへと突き動かしたのです。
初めて「心細い」とはこういうことか、と感じたのです。
仕事への執着と、婚活という「逃げ道」の交差点
当時の私は、まさに「二足のわらじ」で必死でした。
転職活動で不採用通知を受け取り、「私には価値がないのかも」と打ちのめされる一方で、新しい仕事で新しいスキルを身につけたいという情熱も消えてはいませんでした。
親は、娘が仕事を頑張ることを手放しで喜んではくれませんでした。
「そんなに必死に働かなくても、早く安定した人と結婚すればいいのに」という無言の圧力が、いつも背中に刺さっていたのを覚えています。
不思議なもので、当時の私にとって仕事と婚活は、お互いが「逃げ場」であり「支え」でもありました。
「婚活のプレッシャーで息が詰まりそうな時は、仕事に没頭することで自分を保ち、仕事で挫折して自信を失った時は、婚活という別の可能性に目を向けて自分を慰める。」
今思えば、婚活の気分転換に仕事をしていた、と言えるかもしれません(笑)。
でも、そんな風に「どちらも手放さない」と決めてあがいていた時間は、決して無駄ではありませんでした。 親が望む「一般的な幸せ(結婚)」を模索しながらも、親が認めない「自分のやりたいこと(仕事)」を握りしめ続けたこと。
その小さな抵抗の積み重ねが、私の心の中に少しずつ、親とは違う「自分だけの領土」を作っていったのです。
今となればこれで良かった
私たちの時代はまだまだ女性は「サポート的な役目」、結婚か出産で女性は退職する、と思われていたような時代からようやく「女性の活躍」が認められ始めた頃でした。
当時とは比較にならないくらい時代も変わり、経済的な安定は男女問わずに婚活でも重要な項目に一つになっています。
今や女性も職を持ち続ける時代。大切な「仕事を継続する力」を持ち続けて良かったと心から思います。
「肩の荷が降りた」と感じた瞬間
結婚が決まり、結婚してホッとして、子供を授かり、無事に出産できてこのとき赤ちゃんと一緒に引っ越しの後初めて泊まりがけの帰省をして
一緒に子供のお世話をしてくれて母娘の時間を過ごせた、それで心からホッとすることができたのです。
両親なりに心の準備をしていたことがわかった
「この人に決めた」と伝えたとき、両親はもう何も言わず私の決めた道を応援するという雰囲気でした。
「会ってほしい人がいるから来月の日曜日、どこかで時間もらえる??」
当時そんな相談を持ちかけたように思います。
それまで色々な紹介話やお見合いの機会に恵まれ、気が進まない相手にも合わせたり、お断りしたり、心がちぎれそうになってお別れしたり、そんな中で会社勤めも真剣に続けてきた私を見ていたのでしょう。
娘を心配し、誰でもいいというわけにもいかない、とヤキモキしていた両親ですが
いつも言っていたことが
「最終的には自分で決めなさい。」でした。
もしもその結婚がうまくいかなかったとき、親や他人に責任転嫁することはできないからです。
当時、30代も半ばに入ってきた私に「自分たちの意向に必ずしも沿った相手ではなかったとしてももう認めなくてはならないな」と考えていたのでしょう。
「いつか来る」「寂しさもあるけれど未来の娘の幸せのため」と考えていてくれたのでしょう。
これから先の道を自分で決め、婚活を卒業すると宣言した
これが長いトンネルを抜けたような感覚だったのでしょう。
やっと親孝行ができたと思った出産と里帰り
結婚式の準備をしていたときも「楽しそう」に見にきてくれましたがそれ以上に
「子供を持ちたいならタイムリミットがある」と気にしていたようです。
近年はだいぶ変わってきたようですが少し前までは
娘がいる母親の場合「娘の出産まではどうしてもサポートしてあげたい。」「それには私が少しでも若いうちに」と考える母親も多くいました。
年齢的な不安もなかったとはいえませんが子供を授かり、出産、結婚して以来、初めての長期帰省が叶ったのでした。
ギリギリまで会社員の仕事も継続することができ、その頑張りも認めてもらった感がありました。
母親として「役目を果たせた」と感じていたのでしょう。
新生児のお世話など全く未知の経験ですから母のサポートは本当にありがたく、でもこのときまでは頑張ろうと思ってくれていた母にとっては「やっと訪れた機会だ」と感じたのでしょう。
ライフスタイルが多様化した現代において、幸せの形は人それぞれです。
けれど当時の私にとって、母と一緒に我が子を抱いたあの時間は、長年背負ってきた『娘としての責任』から、ようやく解放された儀式のようなものでした。
独身時代には言えなかった本音が言えるようになった
自分の意見が尊重されるようになったことも大きな変化でした。
結婚後も会社員として働き続け、出産も経験したことで私の発言を否定せずに聞いてくれるようにもなった気がします。
生まれ育った戸籍から出て新しい家庭を持ったことで両親の中でも、昭和の価値観ではなく現代に合わせるところは合わせよう、と考えたり、
物理的に居住場所が変わったことで娘には違いないが「大人同士」という距離感に変わったのかもしれませんし、
「もう私たちが口を出すべきではないという変化」があったかもしれません。
母親との時間を取り戻せた育休中のランチタイム
多くのアラサー女性がお母さまとのランチや旅行の様子をSNSにアップしているところを見ると今でも「いいなあ」と感じます。
婚活をしていた時はいつも本心を隠し、言葉を選んで余計な発言があちこちに飛び火して
相手を傷つけたり、自分が傷つかないように注意しながら過ごしていました。
なので20代から30代の多くの娘さんたちがお母さまと行くような休日のランチや旅行の思い出がありません。
当時は働き方改革もなく、お休みが取りにくかったこともありますがそれ以上に「そんな気持ちになれなかった」「心の余裕がなかった」のです。
育児休暇という初めての長期休暇をいただいた私は子供を連れて母と外食をしたり、カフェに行く余裕ができたのでした。
「ああ、ホッとした、私にもやっとこんな時間を持てるときが来た」
そう感じたのでした。
里帰り出産という共同作業を通じて、母も自分も「役目を終えた」と確信したのでした。
「親」であると同時に「大人同士」という関係性に変わってきた
結婚前は「娘」でしかありませんでしたが、結婚し、「妻」「嫁」「母」の顔も持ったことでいつの間にか、母と同じ立場になった、しかも「仕事人」としての自分もいたのです。
母と娘という「主従関係」にみたいな鎖が外れたのかもしれません。
初めて親には違いないけれど「対等な関係性」となり、「お母さんの気持ちもわかる」
そう実感を込めて感じられるようになったのも大きいかもしれません。
「親を捨てる」のではなく、親を「一人の人間」として客観視できるようになった心の変化。
結婚は「自分の親」以外に「夫のご両親」を身近に感じることになります。
初めて自分の親以外の親と接する経験にも学びが大きく、偉大なご両親と感じる中で
一人一人の人間として「親」という立場に関係なく「大人としてどうか」という視点が持てたことも大きいです。

今、トンネルの中にいるあなたへ
「親の期待」という荷物を下ろすことは、不孝ではない。
親の期待を背負っていると感じたときの心の重みは「結婚」に限らずどのご家庭でもありうることでしょう。
家業を引き継いでほしい
堅い職種に就いてほしい
言葉にせずともそのような期待を持たれていることを感じる娘さんたちは多くいらっしゃいます。
そんな中、自分自身と向き合い、ひとつ一つの結論を出していく中で自分だけの正解を見つけていく作業は心苦しくはありますが不孝ではありません。
親は自分たちの我が子が健やかな笑顔で幸せに暮らしてくれることに喜びを感じるからです。
悩んで、悔し涙を流して、真剣に考えて行動した末に出てきた答えは最良のもの。
我が子の人生のラストまでを見届けることはできないからこそ、
自分の足で立つことこそが、「本当の親孝行」の形であると考えます。
親はどこまででも我が子の未来の幸せを願ってくれている存在
親は元気でいる限り、いつでもどこまででも我が子の幸せを願ってくださる存在。
こんな人たち、世界中のどこを探しても存在しません。
人生を先に歩んでいる分、私たちが思いもよらない先の先まで考えている場合もあります。
どんな愛よりもありがたい存在なのです。
年齢を重ねるほどに、自由で豊かになる未来へ
「昔は良かった」「あの頃に戻りたい」——。 不思議なことに、成熟した年齢を迎えようとしている今の私は、そう思ったことが一度もありません。
26歳のあの頃、親の顔色を伺いながら感じていた「心細さ」や「罪悪感」は、もう今の私にはありません。
あの日、逃げるように、でも必死に掴み取った「結婚」や「仕事」という選択のすべてが、今の私の揺るがない土台になっているからです。
親を「捨てる」のではなく、一人の人間として客観視し、大人同士の距離感で接することができるようになった今、ようやくわかったことがあります。
親は元気でいる限り、どこまででも我が子の幸せを願ってくれる、世界中で他にいないありがたい存在です。
でも、その期待に応えることだけが正解ではありません。
我が子の人生を最後まで見届けることができないからこそ、自分の足で立ち、自分の人生を愛おしく思うこと。それこそが、本当の意味での「親孝行」の形なのだと考えます。
年齢を重ねることは、選択肢を失うことではなく、自分だけの「正解」を増やしていくこと。
そして、親の視線から解放されて、本当の意味で「自分の人生」の豊かさを追求できる、新しいステージの始まりです。
かつての私と同じように、今、荷物の重さに立ち止まっているあなたへ。 大丈夫。その荷物を一つひとつ下ろしていった先に、今のあなただからこそ描ける、もっと自由で、もっと豊かな未来が必ず待っています。
新しい年、あなた自身のために、軽やかな一歩から始めてみませんか。
2026年 元旦



