『私が我慢すれば丸く収まる』の罠。婚活を止めていたのは、親を想うがゆえの「隠れ共依存」でした
最近、お母さまや親御さまとの会話でモヤモヤしていませんか。
「そんな言い方失礼じゃない??」
「なんか上から目線じゃない?私だって頑張っているのにひどい」
そんな気持ちになりながらも平静を装い、何もなかったふりをしていませんか。
その原因はもしかしたら、性格の不一致ではなく、「共依存」と言う心の癖かもしれません。
「親の心配を真正面から受け止めて、心が折れそうになっていませんか?
前回の記事『親の心配を受け止める 心に余裕を持つための準備』には、多くの反響をいただきました。
それだけ、親御さんの期待や不安をひとりで背負い、疲れ果てている娘さんが多いのだと感じています。
でも、もしあなたが『私が我慢すれば、すべて丸く収まる』と自分を押し殺しているとしたら……。
それは単なる優しさではなく、お互いの人生が複雑に絡まり合う『共依存』という状態かもしれません。
なぜあなたは、こんなに親の心配を重く受け止めてしまうのか?
それはあなたが優しいからではなく、心の境界線が溶け合っている(共依存)からかもしれません。
先日の記事『親の心配を受け止める 心に余裕を持つための準備』では
余裕を持つための究極の方法は、あなた自身の自立である
ことを解説させていただきました。
娘さん側が自立することで親の感情は「親のもの」と切り離すことができ、初めて本当の意味で優しく「受け止める」ことができるようになるのです。
親御さまのこれまでのお導きをありがたく受け止めつつも「わたしの人生を生きていくのは私自身だ」ととらえ直すのです。
私の告白=当時は1ミリも「共依存」だと思っていなかった
【実体験】 私もこのサイトを構築していく段階で初めて知った驚きの事実
当事者だった頃の私は、自分が『共依存』だなんて1ミリも思っていませんでした。
むしろ、親の期待に応え、親が不機嫌にならないように先回りして我慢することが、娘としての正解だと思い込んでいたのです。
親の年齢や人生経験を考えると私が全力で言い返したらきっと体調を崩すくらいショックを与えてしまうだろう、
元気でいてほしいから、傷つけたくないから、私は仕事や趣味で発散すればいいから、
「だから私が全部受け止めれば丸く収まる」
と思っていたからです。
でも、その『私が我慢すれば丸く収まる』という優しさが、
実は自分の人生のハンドルを親に預けてしまっている状態だったのだと、今になってようやく気づきました。
自覚がないことはむしろ「普通」のこと
親に感謝しているからこそ、境界線(バウンダリー)が溶けてしまう。
当時は全く気づかなかった、「親の言うことも間違っていないし」「親の話に耳を傾けることが親孝行のひとつ」だと思っていたし、「相手を傷つけないことが責務」だと思っていたのです。
結婚にまつわる家族の言動で心に傷を負ったとしても
「みんなの幸せならそれでいいじゃないか」
「でも、私の幸せは???」
しかし、日本は家族を美化する文化。
「家族は仲良くあるべきもの」「一人だけ自分の道を生きるとは何事だ」と言う風潮の中で育ちますからそこに何の疑いもない、だからこそ、この「不自由な愛」は「仲良し親子」という言葉で隠されてしまうのです。
なぜ、自覚するのが難しいのか
私自身もそうでしたが、これらはすべて「親思いの優しい娘」というパッケージに包まれています。
「親を大切にしているだけ」と思っていたことが、実は自分自身の人生を縛る鎖になっていた……。その事実に気づくのは、とても勇気がいることです。
でも、その鎖に気づくことが、あなた自身、そして実は親御さん自身をも自由にするための、たった一つの入り口なのです。
「共依存」チェック:あなたの心にある「思考のくせ」
無意識に「お母さんが笑っていないと不安」になっていませんか?
自分の幸せよりも、親を不機嫌にさせないことを優先していませんか?
チェック項目
「共依存」と聞くと重く感じるかもしれませんが、実は日常の何気ない思考の中に隠れています。以下の項目に、心当たりはありませんか?
「お母さんの機嫌」が自分の天気に直結している
お母さんが不機嫌そうだと、自分まで落ち着かなくなり、なんとかして機嫌を直そうと空気を読んでしまう。
「断ること」に猛烈な罪悪感がある
親の誘いや提案を断るとき、まるで悪いことをしているような、裏切っているような感覚に陥ってしまう。
自分の幸せよりも「親の安心」を優先している
自分がどうしたいか(本音)よりも、「これを言ったら親が安心するか、反対されないか」を先に考えてしまう。
「私がいないとこの人はダメだ」という思いがある
自分が親の愚痴を聞き、精神的に支えてあげなければ、親が崩れてしまうのではないかという不安がある。
私が我慢すればいい」が口癖(心癖)になっている
波風を立てないために、自分の本当の気持ちを飲み込むことが、一番賢い解決策だと思い込んでいる。
いくつ当てはまりましたか? もし多く当てはまったとしても、自分を責める必要はありません。それはあなたがこれまで、それほどまでに一生懸命、親御さんを愛そうとしてきた「証(あかし)」でもあるからです。
でも、これはあなたが悪いのではなく、そういう関係性のパターン(癖)に陥っているだけなのです。
感謝と自立は「両立」できる
ここまで自分を大切に育ててくれた親御さまを敬い、今日までの苦労や導きに感謝したい、と感じることは素晴らしいことです。
親を否定する必要はありません。
親を否定する必要はない
親御さまに感謝する気持ちを持てることは素晴らしいことであると同時に「幸せ」なことです。
親はいちばん身近な人生を先に生きている人ですから「感謝したいと思える」親御さまのもとでお育ちになったあなたは社会で生きていく術をひととおり、親御さまから見せていただけているからです。
「お手本」がないまま大人になってしまうと一般的に大人になる前に身に着けておくべきことができておらず周りに遅れをとる場合もあります。
親御さまはあなたの人生のラストまで見届けることはできない
親御さまとは年齢が離れています。
ですから平均寿命以上に長生きしてくださったとしてもあなたの人生の終わりまで見届けることはできません。
自分の人生は自分の責任で生きていくしかないのですから「私の人生の決定権は私の中にある」と自覚するべきなのです。
「育ててくれた感謝」と「自分の人生の決定権」は別のもの
親御さまに感謝するとともに親御さまにとっていちばんの喜びは我が子が幸せそうに自分の足で立ち、「自分たちがいなくても幸せに暮らしていけるだろう」と実感した時です。
高齢になり、ご自身の健康にも自信がなくなってきたと言うのにまだ娘の心配をしなくてはならない状況こそ、親御さまにとって苦痛になるでしょう。
そのときがくる前に「親孝行がしたい」からこそ
「笑顔でいてほしい」と願うからこそ、なおさら娘が自分の足で立ち、幸せになる姿を見せることが大切なのです。
「近いからこそ取り扱い注意」の処方箋
親子という関係は、世界で一番距離が近い関係です。
だからこそ、取り扱いには細心の注意が必要です。
一度にすべてを変えようとして、激しくぶつかる必要はありません。
少しずつ、以下の「心の練習」を始めてみませんか。
「小さなNO」から始めるリハビリ
すべてを受け止めるのをやめ、「今日は疲れているから、その話はまた今度ね」と、小さな境界線を引く練習をしましょう。
あなたがNOと言っても、お母様との絆は簡単には壊れません。
「課題の分離」を意識する
お母様が不機嫌になったとしても、それはお母様自身の感情の問題です。
あなたが責任を感じて機嫌を取る必要はありません。
冷たいようですが、それが「自立した一人の大人」として相手を尊重することでもあります。
専門家の視点を「防波堤」にする
長年の「思考のくせ」を一人で直すのは、並大抵のことではありません。
罪悪感に押しつぶされそうになったら、カウンセリングなどのプロの力を借りてください。
「第三者の視点」が入ることで、絡まった糸が驚くほどスッと解けることがあります。
「一人で抱えきれなくなった時は……」
長年染み付いた「思考のくせ」を書き換えるのは、並大抵のことではありません。罪悪感で立ち止まってしまいそうな時は、プロの力を借りてみてください。
親との境界線をどう引けばいいのか、具体的な一歩の踏み出し方については、こちらの記事で詳しく解説しています。

まとめ:あなたは「あなたの人生」を生きていい
最後に、私がこの記事を書くきっかけにもなった、下重暁子さんの著書『家族という病』から、心に深く刺さった一節をご紹介します。
「家族も独りの集団なのだ。三人、四人、五人、という親、きょうだいという家族の一団なのではない。」 「独りを知り、孤独感を味わうことではじめて相手の気持ちを推しはかることができる。」
家族だからといって、一塊(ひとかたまり)になって相手の人生を背負い合う必要はありません。
むしろ、お互いが「独り」として自立し、自分の人生を楽しめるようになって初めて、本当の意味で相手を思いやることができるのです。
あなたが今、親との距離に悩み、自分の幸せを求めて一歩踏み出そうとしていることは、決して冷たいことでも、間違っていることでもありません。
それは、あなたとお母様、双方が本当の意味で自由になり、笑って過ごすための、最も愛に満ちた選択なのです。
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